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東京地方裁判所 昭和60年(ワ)2109号 判決 1988年3月24日

原告

加藤録郎

他一〇名

右原告一一名訴訟代理人弁護士

大室俊三

古瀬駿介

内田雅敏

大谷恭子

被告

東京都

右代表者知事

鈴木俊一

右指定代理人

金岡昭

北原昌文

福本勝洋

主文

一(1)  被告は、原告加藤録郎及び同加藤トシ子に対し各金三二〇九万三九八九円、原告角田源一に対し金五九一八万七九七八円、原告志村榮次郎及び同志村隆子に対し各金三一八〇万五四七四円、原告森田親之、同森田すみ、同仲佐博義及び同仲佐樹子に対し各金三二四三万八四四六円、原告清水敏雄及び同清水トキコに対し各金一九五七万五五九二円を支払え。

(2)  被告は、原告らに対し、右(1)の各金員に対する昭和五二年三月三一日から支払済みに至るまで年五分の割合による各金員を支払え。

二  原告らのその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は被告の負担とする。

四  この判決は原告ら勝訴部分に限り仮に執行することができる。

ただし、被告が担保として第一項(1)の各金員の六〇パーセントに相当する各金員を供するときは仮執行を免れることができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告加藤録郎及び同トシ子に対し各金三二五四万三九八九円、原告角田源一に対し金六〇〇八万七九七八円、原告志村榮次郎及び同隆子に対し各金三二二五万五四七四円、原告森田親之、同すみ、同仲佐博義及び同樹子に対し各金三二八八万八四四六円、原告清水敏雄及び同トキコに対し各金二三二二万九七〇二円並びにそれぞれ右各金員に対する昭和五二年三月三一日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

3  仮執行免脱の宣言

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

(一) 訴外亡加藤正孝(以下「加藤」という。)は、昭和三二年一一月一七日に、訴外亡角田敏憲(以下「角田」という。)は、昭和三二年四月二〇日にそれぞれ出生し、いずれも昭和四八年四月東京都立航空工業高等専門学校(以下「高専」という。)に入学した後、同校山岳部員となつた。

訴外亡志村茂雄(以下「志村」という。)は、昭和三四年一〇月一六日に出生し、昭和五〇年高専に入学した後、同校山岳部員となつた。

訴外亡森田廣行(以下「森田」という。)は、昭和三五年一一月一一日に、訴外亡仲佐義樹(以下「仲佐」という。)は、昭和三五年六月一日にそれぞれ出生し、いずれも昭和五一年四月に高専に入学した後、同校山岳部員となつた。

訴外亡清水辰治(以下「清水」という。)は、昭和二七年一一月一八日に出生し、昭和四五年四月高専に入学した後、同校山岳部員となり、昭和四八年同校を卒業した。

加藤、角田、志村、森田、仲佐(以下「加藤ら五名」という。)及び清水は、昭和五二年三月二〇日後記遭難事故(以下「本件事故」という。)により死亡(清水は、山岳部のOBとして参加していた。)したが、原告加藤録郎及び同トシ子は加藤の、原告角田源一は角田の、原告志村榮次郎及び同隆子は志村の、原告森田親之及び同すみは森田の、原告仲佐博義及び同樹子は仲佐の、原告清水敏雄及び同トキコは清水のそれぞれ親である。

(二) 被告は、高専を設置しているものであり、同校の教職員らは被告の公務員である。

2  本件事故の発生とそれに至る経過

(一) 高専山岳部は、昭和三七年ころ発足したが、昭和五二年当時は、被告の公務員である訴外小泉孝一助教授(以下「小泉」という。)及び訴外中山忠男講師(以下「中山」という。)の両名が部の顧問としてその指導に当つていた。

(二) 同校山岳部は、「春山(雪山)における高専生の山岳部として集団行動・生活のあり方とそれに必要な規律・マナーを、合宿を通じて修得する。また、普段のトレーニングで得た技術・体力・気力などの総合力を発揮させる。」ことを目的として、昭和五二年三月、小泉及び中山の引率指導の下に中央アルプス木曾駒ケ岳における春山合宿(以下「本件合宿」という。)を行うことを計画した。本件合宿は学校行事として計画され、同月一五日、東京都教育委員会により承認された。

計画の概要は、次のとおりである。

① 参加者 小泉(引率教官・リーダー)、中山(引率教官)、清水(高専山岳部OB)、加藤(四年生)、角田(四年生)、訴外角舘弘英(三年生、以下「角舘」という。)、志村(二年生)、訴外嶋ノ内均(二年生、以下「嶋ノ内」という。)、森田(一年生)、仲佐(一年生)

② 日程 四泊五日

三月二七日 新宿―伊那市―桂小場―ブドウの泉―大樽小屋(泊)

二八日 大樽小屋―胸突の頭―分水嶺―西駒山荘(泊)

二九日 雪上訓練(西駒山荘泊)

三〇日 西駒山荘―馬の背―駒ケ岳―中岳―宝剣岳―中岳―駒ケ岳―西駒山荘(泊)

三一日 西駒山荘―大樽小屋―桂小場―伊那―新宿

(三) 右参加者一〇名の高専山岳部パーティー(以下「本件パーティー」という。)は、昭和五二年三月二七日午前一〇時三〇分新宿駅を列車で立ち、同日午後二時二〇分ころ伊那北に着き、同所からタクシーで桂小場の手前まで行き、タクシーの運転手に登山計画書を託した後、徒歩で桂小場に向かつた。同日午後三時二〇分ころ桂小場に到着し、同地で幕営した。

二八日、本件パーティーは、午前五時一〇分ころ桂小場を出発したが、途中道に迷い、大樽小屋に到着したのは午後一時ころとなつた。大樽小屋は半壊状態であつたので、本件パーティーは小屋付近に幕営した。

二九日、本件パーティーは、午前五時一五分ころ大樽小屋を出発し、午前九時一〇分ころ西駒山荘に到着した。同所にて雪上訓練の後、同日は右山荘で幕営した。

なお、西駒山荘は、中央アルプス将棊頭山(標高二七三六メートル)の山頂付近に存する冬期は無人の小屋である。当時破れた窓等から雪が吹込む状態ではあつたが、その立地・構造上山小屋としての安全性に欠けることはなかつた。

(四) 同日、本件パーティーが就寝するまでは、西駒山荘付近は晴天であつたが、同夜半ころから天候が悪化して吹雪となり、翌三〇日、本件パーティーの起床時にもこれが続いていた。そこで、小泉は、中山、清水、加藤らとも相談のうえ、この悪天候下では予定行動たる駒ケ岳、宝剣岳往復は無理であると判断し同日午前六時四〇分ころ、右予定行動を中止した。

山荘外部は、風速一五ないし二〇メートルくらいの風が吹き、風雪のため直立することができず、雪面はクラストして危険な状態であつた。

加藤が同日午前九時一五分のラジオの気象通報を聞きながら天気図を作成したが、小泉及び中山は、この天気図によつて、中国大陸の低気圧が東進してきており、同日以降天候は一段と悪化するものと考えた。本件パーティーが持参した食糧、燃料及び西駒山荘の状況は、二、三日停滞するに何ら問題はなかつたが、小泉らは、停滞が長びいた場合、高専や親が心配する、また、学生に心理的な不安を与える等といつた配慮から、前記の悪天候下でも下山が可能か否かを検討することとし、午前一〇時五〇分ころ、小泉及び清水が外部状況の偵察に出発した。右両名は、午前一一時四〇分ないし五〇分ころ西駒山荘に帰つた。小泉は、右偵察の結果に基づき、①稜線ルートは風が強く、下山ルートとしては危険である、②稜線直下の伊那側山腹の森林限界に沿つて進むルート(以下「本件ルート」という。)は下山可能であると判断し、このルートで下山することに決定した。

下山が決定した本件ルートは、西駒山荘の伊那側山腹の稜線下約一〇〇メートルのところを、稜線にほぼ平行に森林限界に沿つて胸突尾根方向に進むというものであつた。森林限界付近では、クラストした雪面上に前夜来の新雪が積り、膝下くらいの深さの状態であつた。

(五) 本件パーティーは、同日午後零時二〇分ころ西駒山荘を出発し、吹雪の中で下山を開始した。森林限界に至る少し手前で、清水、嶋ノ内らによつてクラックが目撃されているが、小泉及び中山はこれを見落とした。

隊列は、森林限界沿いを胸突尾根方向に進んだ。風は強かつたが、前夜来の吹雪によりかなりの新雪があり、ラッセルが必要となつた。そこで、本件パーティーは、ラッセルしながら隊列の間隔をつめ、士気を鼓舞するため掛声をかけ合いながら進行した。なお、小泉及び中山は隊列の後尾に終始した。

こうして、本件パーティーは、午後二時ころ将棊頭山頂から北方約三〇〇メートルの稜線から東方に約一〇〇メートル下がつた地点の斜面(以下「本件事故現場」という。)にさしかかつたが、雪崩に対し警戒することなく前進したところ、表層雪崩が発生し、同パーティーはこれに巻き込まれ、その結果、小泉・中山・嶋ノ内の三名を除く七名が即時同所において圧死した。

3  被告の責任原因

(一) 債務不履行責任(原告清水敏雄及び同トキコに対する関係を除く。)

(1) 被告の安全配慮義務の存在

公立学校設置者と在学生との間の法律関係は、私立学校の場合と同様在学契約関係と解すべきであり、在学生たる加藤ら五名は、設置者たる被告に対し、右契約に基づき「安全に教育を受ける権利」を有しており、これに対し、被告は、右加藤ら五名に対し、教育活動を実施するに際してその生命及び身体の安全に十分配慮する義務を負つていたものである。

また、仮に、公立学校設置者と在学生との関係は、学校設置者と地方公共団体の行政処分に基づくものであつて契約関係ではないとしても、右行政処分によつて発生した法律関係が教育目的達成のための管理権を伴うものである以上信義則等により、管理をなすべき被告は被管理者たる右加藤ら五名の生命及び身体について前述のとおりの安全配慮義務を負つていたものである。ちなみに、スポーツ振興法(昭和三六年法律一四一)第一六条は、「国及び地方公共団体は、登山事故、水泳事故その他のスポーツ事故を防止するため、施設の整備、指導者の養成、事故防止に関する知識の普及その他の必要な措置を講ずるよう務めなければならない」と定めている。

(2) 本件における安全配慮義務の内容

本件は、学校行事として行われた雪山登山合宿である。雪山登山は、①気温の低下、吹雪、雪崩の発生等厳しい自然条件の中で行われる、②登山中に悪天候となる場合もありうる、③社会から隔離されており、緊急時の救難要請が困難である、④そのため万一事故が発生した場合には、参加者の生命への危険も生じうる、という特徴を持つている。しかも、これに参加する者が経験の乏しい学生らであるところから、杜撰な計画あるいは軽率な判断に基づく行動は、時には死をも招来する。

したがつて、学校行事として雪山登山を実施する場合、学校設置者たる被告としては、右のとおりの雪山登山の特徴を考慮して、合宿に参加する指導教員及び参加学生の雪山に対する知識・経験・体力からして、通常予想される程度の天候の悪化があつても、参加学生の安全が十分に確保されるように配慮して、登山の場所・日程・行動予定・装備等の計画をたてさせねばならず、また、その合宿には経験の豊富な者を引率者として同行させ、入山中の学生らの生命及び身体の安全を図らなければならない。また、この場合、入山中といえども学校設置者たる被告は、学生の生命及び身体の安全をはかる義務を負つており、学生を引率して合宿に参加する教員は、その履行補助者として、合宿実施中、参加学生の生命及び身体に対する危険の発生を回避すべく学生を指導引率すべき義務を負う。

(3) 被告の安全配慮義務違反

① 計画段階における安全配慮義務違反

(イ) 本件合宿は、三月二七日から四泊五日の計画であつたが、三月の雪山、特に標高二〇〇〇メートル以上の高山では、春山とはいつても冬山と同じ状態になることがしばしばあり、「ひとたび荒れれば冬山と少しも変わらない」とか「ふもとは春でも山は冬」といわれている。

雪山においては、ひとたび荒れると、気温が下がり、強風のため歩くことができず、滑落や凍死の危険があるだけでなく、新雪による表層雪崩の可能性もあるため、やむを得ずテント、雪洞、山小屋に停滞しなければならないこともある。また、特に二〇〇〇メートル以上の高山では、山小屋はほとんど営業しておらず、入山者も少なく、一般社会との連絡方法はないに等しいから、ひとたび事故が起こればメンバーが下山して知らせるほか仕方のないことが多い。

このため、本来の行動予定日のほかに、余分に何日かの予備日を設け、その日数分の食糧、燃料を持参することが必要となるのである。

(ロ) 昭和五二年三月一五日、東京都教育委員会の承認した本件合宿の日程は前述のとおりであつて、その際提出された実施計画書には、予備日の記載は全くない。

もつとも、本件パーティーは、四月一日の昼食分までの食糧を用意していたようであり(燃料は、四月二日分まで持参していた。)、したがつて、食糧の裏付けのある予備日は、客観的には三分の二日間存在したが、右の一日に満たない予備日すら登山計画書には記載されていなかつた。

(ハ) 予備日は、あくまでも登山行動予定日のほかに設けられていなければならず、本件登山計画では五日間(少なくとも四日間)の行動日があつたのであるから、わずか一日に満たない三分の二日の予備日では不足であつた。

しかも、本来登山計画は、メンバーのうち最も弱い者の能力を基準にして立てなければならないが、本件パーティーのメンバーの中には、雪山の経験のない一年生が二人もおり、二、三年生でも雪山の経験は一、二回しかなく、雪山歩行、滑落停止、ザイルワークをこの合宿で訓練しなければならない程度であつたのであるから、登山計画における予備日の必要性は、通常の場合以上に強かつたといえるのであり、右の程度の予備日ではあまりにも不十分であつたと言わざるを得ない。

(二) したがつて、二〇〇〇メートルを越える中央アルプスの雪山合宿を三月下旬に行う以上、被告としては、引率教員に対し、十分な予備日を設けた計画を立てさせねばならないにもかかわらず、これを怠つたため、本件登山計画においては予備日は一日に満たず(三分の二日)、かつ、登山計画書には予備日、予備食糧の記載さえなかつた。

また、被告における承認にあつては、その計画が真に高専生の生命及び身体に対する安全確保のために十分なものであるか否か慎重に審査すべきであるにもかかわらず、これを怠り、右の様な杜撰な計画を承認した。

そして、後に詳述するように、本件パーティーの引率者である小泉は、予備日の不足のため、天候の回復を待つだけの心理的余裕を持ち得なくなり、その結果、あせりを生じて無謀な下山を強行し、本件パーティーが遭難するに至つたものであるから、予備日の不足と本件事故との間には因果関係が存するというべきである。

② 合宿実施中における安全配慮義務違反

本件パーティーの引率教員たる小泉は、入山中の被告の安全配慮義務の履行補助者として、参加学生の生命及び身体に対する危険の発生を回避すべく学生を指導引率すべき義務、すなわち、悪天候等により通常の下山ルートを通ることが困難となつた場合には、パーティーの力量及びその時点でのパーティーの位置等を考慮し、学生らの生命及び身体に対する危険が最も少ない方策をとる義務を負うところ、本件パーティーが西駒山荘にいた三月三〇日は、悪天候により通常のルートにより下山することがパーティーの力量から困難となり、また、右山荘に停滞することに何らの危険もなかつたのであるから、小泉は、天候が回復するまでパーティーを小屋に停滞させ、もつて学生らの生命及び身体に対する危険の発生を防止すべき義務があつたにもかかわらず、右義務に反し、本件山腹ルートで下山することが安全であると軽信して、学生らを右ルートにより下山せしめ、よつて、本件事故に遭遇せしめた。

以下、右の点を具体的に述べる。

(イ) 一般に山の上で天候が崩れた場合には、動かず停滞して天候の回復を待つべきであるというのが鉄則であるとされている。悪天候下で行動した場合には視界等も十分ではなく、霧にまかれたりして道に迷つたりする危険があり、また、風雨に打たれた場合には体力の消耗も激しく、凍死したり、疲労により注意力が散漫となつて滑落などの事故を起こしやすいからである。そして、雪山においては、雪崩、雪庇の踏み抜きによる転落、アイスバーンでの滑落等、いずれも死につながる危険と隣合せであり、また風雪に打たれた場合の体力の消耗度は風雨の場合のそれと比較にならないから、右の「悪天候下では動くな。」という山の鉄則は、一層強く銘記されなければならない。

このように「悪天候下では動くな。」ということは、雪山では絶対に守らなければならない鉄則であるが、仮に停滞を困難とする事情があつた場合でも、停滞を困難とするやむを得ない事由と、行動するルートの安全性(危険性)の程度を比較衡量して、安全の確保を第一として停滞か下山かを決定すべきである。

(ロ) 西駒山荘を出発して下山を開始した際の具体的な状況は次のとおりであつた。

(a) 本件遭難現場の地形は、雪崩の発生しやすいものであつた。すなわち約三〇度の傾斜があり、稜線から約一〇〇メートル下つた地点で、三〇日未明からの風雪により新雪の吹き溜りができやすいものであつた。

(b) 本件事故の当時は、前日までの晴天で旧雪が夜間に凍つてクラストしていたところへ未明より新雪が降り積り、しかも、低気圧の影響でかなりの降雪があり、本件遭難現場では、稜線からの吹き溜りにより膝下までの約五〇センチの新雪があつた。

(c) 本件パーティーが下山を開始した時点は、降雪中であり、このようなときに行動するのは雪崩による遭難の危険がきわめて高いものである。このような場合には積雪の状態が不安定であり、かつ、十分な見通しがきかないため、雪崩の予測をなすに必要な地形全体を判断することが困難であり、そこが雪崩の危険性の高い吹き溜りや、沢筋であるか正確に把握するのが困難だからである。しかも、下山を開始した午後零時二〇分という時間帯は、気温が上がつてきて、雪の安定性がくずれ、雪崩が発生しやすい危険な時間帯であつた。

(d) 右のとおりの状況下で西駒山荘を出発し、山腹をトラバースして下山の途についたことは、雪崩に遭遇する蓋然性の高い極めて危険なものであつた。そもそも雪山においては、稜線を歩くことを原則とし、絶対に山腹をトラバースするなと言われている。これは、山腹をトラバースした場合には雪崩に遭遇する危険があり、しかも、雪崩に遭遇した場合には、技術によつて防止が可能な稜線上での滑落等と異なり、その難から逃れる術はほとんどないからである。このことからも、本件パーティーが雪崩に遭遇する蓋然性は高かつたのであり、小泉は偵察等によつて十分に以上のような状況を把握していたのであるから、雪崩に遭遇する危険を予見しえたはずである。

(ハ) これに対し、次に見るとおり、本件パーティーが西駒山荘に停滞するのを困難ならしめたような事情、すなわち雪崩による遭難の危険よりも停滞することの方がもつと危険だという事情は何ら存在しなかつた。

(a) 本件パーティーが西駒山荘に停滞をなすにあたつて不可欠な食糧及び燃料については、非常食までいれれば四月二日分まであつたのであり、また、場合によつて食い延ばしをすることも考えられるのであるから、当面不安はなかつた。

(b) 西駒山荘は、本件パーティー一〇人を十分に収容しうる広さを有し、雪山の山荘として十分な構造を有していたのであり、しかも、本件パーティーは、小屋内に冬用のテントを張つて内張りまでしていたのであるから、まず停滞の条件としては最上の部類に属するものであつた。

(c) 被告は、右山荘に停滞した場合の問題点の一つとして、三一日も天候が悪くて下山できない可能性があり、予定の期日に下山しないと留守をしている家族が心配するということをあげている。しかしながら、一般的に言つて、高山、しかも雪山に登る場合に天候の具合によつて下山が遅れることは通常ありうることであり、危険を冒して下山するか、それとも停滞するかの判断をなすにあつての比較衡量の事由とはおよそなりえないものである。

(d) 被告は、また、本件パーティーが西駒山荘に停滞した場合に、その停滞がいつまで続くか予測がつかなく不安が増幅することをあげる。しかしながら、一〇日に一度くらいしか晴天がなく、あとは荒天が続く冬山と異なり、春山では天候の周期は四日くらいであり、天候が急激に崩れるのは、日本海ないしは太平洋岸を通過する低気圧によるものだとされており、本件の場合もそうであつて、事実四月一日には天候は回復している。

したがつて、本件パーティーのリーダーである小泉としては三〇日未明からの悪天候がずつと続くことが確実だという事情がなく、むしろ右の春山の特色を考慮に入れれば悪天候が一日、二日で治まる可能性も十分に考えられたのであるから、三〇日の時点であわてて下山決定をすることはなかつた。

また、春山においては非常に少ないことであるが、仮に悪天候がずつと続いたとしても、稜線を下山することを困難ならしめた強い風も吹き続けることなく弱まる可能性があつたのであるから、停滞していれば稜線を経て下山のチャンスは十分考えられ、雪崩の危険の中山腹をトラバースして下山を急ぐ理由は全くなかつた。

(e) 被告は、さらに、停滞した場合のパーティーの士気の低下が懸念されることをあげる。しかしながら、荒天が続いて三〇日までにすでに何日も停滞しており、食糧も燃料も乏しい中さらに長期間停滞しなければならないような事情があつたのであればともかく、天候が崩れたのは三〇日が初めてであり、予定としても翌三一日を残しており、前述したように小屋内でテントを張つて、一人二人でなく一〇人もの若者が停滞していたのであるから、停滞による士気の衰えなど全く下山決定の理由とはならないものである。

そして、前述したように、春山の天候の周期が四日くらいということ、現在の荒天が日本付近の低気圧によるものという理解から、短時間で天候が回復する可能性があることを考えれば、パーティーの士気も衰えることなく、天候の回復を待つことはそう困難ではなかつた。

しかも、そもそも本件登山計画がその目的の項において、「春山(雪山)における、高専生の山岳部として集団行動、生活のあり方とそれに必要な規律、マナーを合宿を通じて修得する。また普段のトレーニングで得た技術、体力、気力などの総合力を発揮させる」と記載しているように、本件合宿は、雪の中、困難の中で停滞する訓練も重要な目的の一つとしていたのである。

右に見たとおり、「悪天候には動くな。」という山の鉄則、「雪山の山腹をトラバースするな」という雪山登山の原則をあえて冒してまで、本件パーティーが出発しなければならないような事情、すなわち、西駒山荘に停滞することを困難とするような事情はどこにも見当たらない。

(二) したがつて、本件山腹ルートをトラバースしての下山という決定は、山の鉄則、雪山登山の原則に照らし、そしてまた、本件下山ルートの具体的状況を考えた場合に、雪崩に遭遇する可能性が非常に高いものであつたこと、しかも、雪崩は巻き込まれたら防ぐ術はなく、技術的に回避が可能な稜線上での滑落事故等とは比べものにならないほど恐ろしいものであることを考えると、本件パーティーが西駒山荘に停滞することを困難ならしめたような特別事情がない限り、引率教員たる小泉は停滞の決定をなし、パーティー員の生命及び身体の安全を図るべきであつた。

しかるに、小泉は、本件の場合に右のような特別の事情が存しないにもかかわらず、三〇日未明からの天候の急変にあわてて急拠下山決定をし、本件パーティーをして危険極まりない山腹のトラバースというルートをとらしめ、パーティー員の生命及び身体を危険にさらし、七名もの生命を失わせたものである。

(ホ) ところで、被告は本訴において、本件事故は新雪表層雪崩ではなく、いわゆる板状雪崩であると主張するに至つたが、右主張は角館氏を原告とする別件訴訟(昭和五二年提起)及びその控訴審においても一度もなされたことはなく、本訴においても、終盤段階になつて初めて主張されたものである。

その根拠とする本件事故現場付近の積雪の状態は、被告主張のとおりではなく、クラストした雪面の上に新雪が膝下くらいの深さまで積つていたことは前述したとおりである。

また、被告主張の板状雪崩なるものの概念は必ずしも明らかではないが、従来、日本山岳会などで面発生乾雪表層雪崩の一種として分類されている雪板雪崩と似た概念であり、これについては多くの雪山登山の入門書等でその危険性が指摘されていたのであるから、仮に被告主張の板状雪崩の構造やその発生機序を知らなくても、本件事故現場における表層雪崩の発生については小泉に予見可能性があつたというべきである。

(二) 国家賠償法第一条の責任(原告全員について)

(1) 小泉は、被告の公権力の行使にあたる公務員であり、本件合宿は、小泉の引率指導の下に学校行事の一環としてなされ、加藤ら五名は高専山岳部員として、また、清水は同山岳部OBとして、それぞれこれに参加したものである。

ところで、3(一)(3)②で述べたとおり、本件パーティーが西駒山荘にいた三月三〇日、悪天候によつて通常のルートにより下山することがパーティーの力量から困難となり、また、右山荘に停滞することに何らの危険もなかつたのであるから、本件合宿の引率教員たる小泉は、天候が回復するまでパーティーを小屋に停滞させ、もつて学生らの生命及び身体に対する危険の発生を防止すべきであつた。しかるに、小泉は、本件山腹ルートで下山することが安全であると軽信して、学生らを右ルートにより下山せしめ、よつて本件事故に遭遇せしめ、加藤ら五名及び清水を死亡せしめるに至つた。

小泉は、本件合宿の引率指導を行うについて、右のとおりの過失を犯し、これによつて右加藤ら五名及び清水が死亡したものであるから、被告は国家賠償法第一条に基づく責任を負うべきものである。

(2) 東京都教育委員会は、本件合宿のような学校行事に対する承認手続を行うに当つては、その計画を十分審査し、計画書に予備日の記載がないなど、3(一)(3)①で述べた不十分な登山計画については、これを承認すべきでないのに、被告の公務員である教育長及び各教育委員はこれを看過し、教育委員会として右計画を承認し、その結果、本件合宿が実施され、本件事故が発生したものであるから、被告は国家賠償法第一条に基づく責任を負うべきである。

4  損害

(一) 逸失利益

(1) 本件事故当時、加藤及び角田は高専四年生(一九歳)、志村は同二年生(一七歳)、森田及び仲佐は同一年生(一六歳)であつた。高専は、五年制の工業高等専門学校であつて、卒業生の多くは、同校で学んだ技術等を生かし、航空界に就職しており同人らも卒業後は整備等の仕事をするはずであつた。すなわち、同人らはいずれも二〇歳から少なくとも六七歳まで、高専での知識、技能を生かした職務に就くことが予定されていたのである。

また、本件事故当時、清水は二四歳で、少なくとも六七歳までは高専での知識、技能を生かした職務に就くことが予定されていた。

(2) 加藤ら五名の各逸失利益の算定については、収入計算の基礎として各自の就労予定年度の運輸・通信業の賃金センサスにより、かつ中間利息控除を新ホフマン方式によつてなすべきであり、さらに、二〇歳(高専卒業時)に達するまでの間に支出を要する養育費については月額二万円が妥当であり、その合計額から新ホフマン係数による中間利息を控除したうえでこれを控除すべきである。なお、収入から控除すべき生活費は、全稼働期間を通じて各五〇パーセントとみるのが合理的である。

右に従つて計算すると、右加藤ら五名の逸失利益の合計額は、別紙計算表一ないし三のとおり、加藤及び角田は各金二四二五八万七九七八円、志村は金四二〇一万〇九四九円、森田及び仲佐は各金四三二七万六八九三円となる。

(3) 清水の逸失利益の算定については、収入計算の基礎として高等専門学校卒の全年齢平均賃金(昭和五八年賃金センサス)によるべきであり、これによれば年合計金三八七万〇九〇〇円であり、収入から控除すべき生活費は、全稼働期間を通じて五〇パーセントとみるのが合理的であるから、同人が年間得るべき利益は金一九三万五四五〇円である。

したがつて、同人は、いずれも年間最低金一九三万五四五〇円を、二四歳から六七歳までの四三年間得べきものであつたにもかかわらず、これが得られなかつたのであり、この間の中間利息を新ライプニッツ方式によつて控除すると結局、同人の逸失利益は合計金三三九五万九四〇五円である。

(二) 慰謝料

加藤ら五名は、いずれも一六歳から一九歳までの学生であり、また、清水は、二四歳の若者であり、いずれも将来に対しては限りない夢と展望を持ちうる人生最良の年代であつたが、同人らはその青春期に本件不慮の事故により他界した。同人らの右精神的苦痛を慰謝するには、それぞれ金一〇〇〇万円が相当である。

(三) 弁護士費用

加藤ら五名及び清水は、自らの損害賠償請求権を実現させるためには、各人が弁護士に委任せざるを得なかつたものと考えられるところ、本件において弁護士に支払う報酬は、各金二五〇万円が相当であり、これは同人らが被つた相当因果関係の範囲内にある損害である。

(四) 相続

(1) 原告加藤録郎及び同トシ子は加藤の両親であるところ、同人の死亡により被告に対する前記(一)、(二)及び(三)の合計金五五〇八万七九七八円の損害賠償請求権を各自二分の一すなわち金二七五四万三九八九円宛相続した。

(2) 原告角田源一は角田の親であるところ、同人の死亡により被告に対する前記(一)、(二)及び(三)の合計金五五〇八万七九七八円の損害賠償請求権を相続した。

(3) 原告志村榮次郎及び同樹子は志村の両親であるところ、同人の死亡により被告に対する前記(一)、(二)及び(三)の合計金五四五一万〇九四九円の損害賠償請求権を各自二分の一すなわち金二七二五万五四七四円宛相続した。

(4) 原告森田親之、同すみは森田の、原告仲佐博義及び同樹子は仲佐のそれぞれの両親であるところ、同人らの死亡により被告に対する(一)、(二)及び(三)の合計各金五五七七万六八九三円の損害賠償請求権をそれぞれ各自二分の一すなわち金二七八八万八四四六円宛相続した。

(5) 原告清水敏雄及び同トキコは清水の両親であるところ、同人の死亡により被告に対する前記(一)、(二)及び(三)の合計金四六四五万九四〇五円の損害賠償請求権を各自二分の一すなわち金二三二二万九七〇二円宛相続した。

(五) 原告ら(原告清水敏雄及びトキコを除く)の慰謝料

原告らは、それぞれ最愛の息子をその養育途上で失い、これによつて多大な精神的苦痛をこうむつた。これを慰謝するためには、少なくとも原告各自につき金五〇〇万円が相当である。

よつて、原告らは、被告に対し、債務不履行又は国家賠償法第一条による損害賠償請求権に基づき、原告加藤録郎及び同トシ子に対して各金三二五四万三九八円、原告角田源一に対して金六〇〇八万七九七八円、被告志村榮次郎及び同隆子に対して各金三二二五万五四七四円、原告森田親之、同すみ、同仲佐博義及び同樹子に対して各金三二八八万八四四六円、原告清水敏雄及び同トキ子に対して各金二三二二万九七〇二円並びに右各金員に対する加藤ら五名及び清水の死亡の日の翌日である昭和五二年三月三一日から支払済みに至るまで年五分の割合による遅延損害金の支払をそれぞれ求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実はいずれも認める。

2(一)  同2(一)の事実は認める。

(二)  同2(二)の事実は、小泉がリーダーであるとの点を除き認める。

本件パーティーのチーフリーダーは加藤であり、サブリーダーは角田及び角館であつた。

(三)  同2(三)の事実のうち、三月二八日、本件パーティーが道に迷つたため、午後一時ころ大樽小屋に着いたとの点及び大樽小屋が半壊状態であつたため、小屋付近に幕営したとの点は否認し、その余の事実はいずれも認める。

大樽小屋への到着が遅れたのは、道に迷つたためではなく、途中で雪上訓練をしたためであり、また、大樽小屋は小さいため、本件パーティーが持参したテントはその中に設営できないので、当初から、大樽小屋が使用可能か否かにかかわらず大樽小屋の近くの平坦部に幕営する予定であつた。

(四)  同2(四)の事実のうち、山荘外部の雪面がクラストして危険な状態にあつたこと、小泉らは中国大陸の低気圧が東進していると考えたこと、森林限界付近ではクラストした雪面上に前夜来の新雪が膝下くらいまで積もつていたことは否認し、その余の事実はいずれも認める。

森林限界付近の雪は、新雪が降つて積つたものではなく、以前からの雪が吹きたまつてできたものであり、後述のとおり、その深さは浅いところでくるぶしが隠れる程度であつて、深くても膝下一〇センチぐらいまでである。なお、小泉と清水が偵察した時間は、同日午前一〇時から一時間ぐらいであつた。

(五)  同2(五)の事実のうち、森林限界沿いは、風が強く、かなりの新雪があつたとの点及び本件パーティーが雪崩に対し警戒することなく前進したとの点は否認し、森林限界に至る少し手前で、清水、嶋ノ内らによつてクラックが目撃されたとの点は不知。その余の事実はいずれも認める。

森林限界付近の雪の深さは、浅いところでくるぶしが隠れる程度であり、深いところで膝下一〇センチメートル程度であつたが、膝下一〇センチメートルくらいのところでも、夜半からの降雪と風に飛ばされた軟らかい新雪は表面の数センチくらいであつて、その下はクラストして固くなつていた。

また、本件雪崩は、後に述べるように、新雪表層雪崩ではなく、板状雪崩と推測するのが合理的である。

3(一)  同3(一)(1)の事実のうち、スポーツ振興法第一六条が原告らの主張とおりの内容のものであることは認めるが、被告が安全配慮義務を負うとの主張は争う。

公立学校の在学関係の法的性質が、私立学校と同様の在学契約であるのか、特別権力関係であるのかはともかく、その実質を見れば、人的、物的両面からなる営造物ないし公の施設の利用関係である。そして、元来、安全配慮義務なる観念が、私法上の雇傭契約において使用者が被用者に対して負うものとして認められてきたものであり、また、最高裁判所判決が公務員関係について国の安全配慮義務の存在を認めたのも、右関係に労務ないし役務の提供と給与の支払という対価的な法律関係の存在を基本とした労務管理性が存し、このような関係が存するがゆえに、本来公法関係にある右関係についても、私法上の信義則の適用があるものとし、これを根拠としているものと考えられることに照らすと、安全配慮義務の認められるべき法律関係の範囲は、対価的な法律関係の存在を前提とした労務管理性が認められる場合、具体的には、公務員関係、労働契約関係などの場合に限定されるべきである。

したがつて、公立学校の在学関係については、安全配慮義務は否定されるべきである。

(二)  同3(一)(2)の主張は争う。

被告が安全配慮義務を負うとしても、小泉が雪山入山中のパーティーの安全を確保すべく負つている義務は、公務遂行上特有なものではなく、雪山という環境下でリーダーが通常負つているものであから、このいわば岳人としての注意義務は、被告の安全配慮義務の内容には含まれないものである。

すなわち、被告の安全配慮義務の内容としては、本件合宿を承認するにあたり、本件パーティー及びリーダーの力量に照らして、目的地、日程等に無理はないか、実質上のリーダーである小泉は引率者として適任であるか否かを判断し、かつ、本件合宿を行う上で、特に予想される危険に対する安全上の注意を与えて、合宿中に生じる危険を防止することであつて、入山後の小泉の行動、とりわけ、本件で問題となつている停滞か下山かといつた判断に際して、小泉に要求される注意義務は、登山歴一五年以上の経験を有し、雪山経験の豊富な岳人として、当然負うべきものとされる通常の注意義務にほかならないものであるから、被告の安全配慮義務とは何ら関係ないといわなければならない。

したがつて、仮に、入山中の小泉に、引率者としての注意義務に違反する点があつたとしても、そのことから直ちに、被告に安全配慮義務違反があつたことにはならない。

そして、東京都教育委員会が小泉、中山を引率者とする本件合宿を承認したのは、高専山岳部が部創設以来約三〇年間一度も死者を出すような事故を起こしたことがなく、また、本件コースは初心者向きの雪山入門コースである上に日程を四泊五日とゆとりがあつて、しかも本件と同一コースによる春山合宿を小泉、中山が引率して昭和四六年三月にも実施済みであること、また、引率者たる小泉、中山及び同行するOB清水の雪山経験を考慮すると、本件合宿に特に危険が伴うとは考えられないこと、などの理由による。

したがつて、右教育委員会が小泉、中山を引率者とする本件合宿を承認したことに何ら問題はなく、被告には安全配慮義務違反はないと言うべきである。

(三)  同3(一)(3)①の事実のうち、本件合宿は、登山計画書に予備日及び予備食糧が明記されないまま承認されたとの点は認め、その余の事実は否認し、被告に安全配慮義務違反があるとの主張は争う。

雪山登山の場合に予備日が必要なことは、被告もこれを否定するものではないが、本件合宿のコースは、雪山経験の浅い初心者でも十分な初級コースであり、通常なら二泊三日で行けるところを本件では四泊五日の日程でゆとりをもつて計画されていた。また、本件コースは、いわゆる縦走コースではなく西駒山荘をベースにして宝剣岳往復訓練をしたのち、往路を下山するという定着合宿であるから、縦走コースに比較して予備日の必要性は少なく、しかも、本件登山計画においては、三月二九日午後は西駒山荘付近での雪山訓練を実施し、翌三〇日は宝剣岳往復訓練を行うことになつており、右の雪上訓練及び宝剣岳往復訓練は、悪天候の場合は中止する予定であつたから、その分は実質上の予備日として設定されていたものである。

また、食糧及び燃料は、通常の方法で使用しても、前者は四月一日まで、後者は四月二日までの分を持参していた。したがつて、名目上の予備日が計画書に明記されていなかつたからといつて、本件合宿に予備日がなかつたわけではなく、実質的には、少なくとも二日半の予備日が用意されていたものであり、本件コースではこの程度の予備日があれば十分である。

しかも、後述するとおり、小泉は、実質的な予備日が少なくて日程が詰まつたり、天候急変に周章狼狽したりしたために下山を急いだものではなく、NHKの気象通報によつて天気図を作成させ、それとルート偵察の結果を総合して停滞すべきか下山すべきかを加藤を含む五人で協議し、その結果をふまえて、下山することを決定したものであるから、予備日の記載がないまま、あるいは原告が主張するように十分な予備日がないまま本件合宿を承認したとしても、そのことと本件事故との間には因果関係は存しない。

(四)(1)  同3(一)(3)②前段の被告が安全配慮義務を負うとの主張は争う。

仮に、入山後の行動にも被告の安全配慮義務が及ぶとしても、小泉には被告の履行補助者としての安全配慮義務違反はないから、被告に右義務違反はない。後述するように、小泉が下山決定したのには合理的な理由があつたものである。

(2)  同(イ)の事実のうち、停滞か下山かは、安全の確保を第一とし、両者を比較衡量して決定すべきであること、山の上で天候が崩れた場合には、動かず停滞して天候の回復を持つべきであるというのが鉄則であるとされていることは認めるが、その余の事実は否認する。

(3)  同(ロ)の事実のうち、本件遭難現場の地形が稜線から一〇〇メートル下つた地点であること、事故当時は悪天候で雪面がクラストし、遭難現場に新雪が積もつていたこと(ただし、前述したとおり、夜半からの降雪と風に飛ばされたやわらかい新雪は表面の数センチメートルくらいであつて、その下はクラストして固くなつていた。)、下山を開始したのは午後零時二〇分で、降雪中であつたことは認め、その余の事実は否認し、本件下山の途についたことは、雪崩に遭遇する蓋然性の高い極めて危険なものであつたとの主張は争う。

雪山においては、山腹歩行は危険であるといわれるが、これが絶対的に禁止されているものではない。地形、天候等の条件で山腹にルートをとることは、ごく通常行われていることであり、ことさらとりあげるほど危険が多いということはない。悪天候下での雪山では、雪庇の踏み抜き、クラストした斜面での滑落、転倒の危険がたえず安全と背中合せに存在するものであり、山腹歩行がこれらの危険以上にことさら大きな危険をはらんでいるというものではない。

(4)  同(ハ)の事実のうち、食糧は四月一日まで、燃料は四月二日までの分を有していたこと、西駒山荘内において冬用のテントを張つて内張りをしていたこと、本件パーティーが西駒山荘に停滞した場合、①予定の期日に下山しないと留守をしている家族が心配する、②停滞した場合にそれがいつまで続くか予測がつかなくて不安である、③停滞した場合のパーティーの士気の低下が懸念される、などが問題点の一つであつたことは認め、その余の事実は否認し、西駒山荘に停滞することを困難とするような事情はどこにも見当たらないとの主張は争う。

(5)  同(ニ)及び(ホ)の主張は争う。

(安全配慮義務違反に関する被告の主張)

1  次に述べるように、小泉が下山決定をしたのには合理的な理由がある。

(一) 三月三〇日は、前夜来の強風のため、予定した宝剣岳往復訓練を中止した後、午前九時一五分からのNHKの気象通報をもとに、加藤が天気図を作成した。この天気図によつて、小泉、中山、清水、加藤らが協議、検討した結果、九州西岸付近に前線を伴つた低気圧があつて東進しており、強風はその影響によるものと考えられ、したがつて、この低気圧が本州東方の海上に去つて天気が回復するのは、早くても四月一日以降で、三一日は三〇日より更に悪化するものと予想された(事実、強風は三〇日より更に強くなり、三一日中続き、その余波は四月一日も残つた。)。

(二) 次いで、小泉は、以上の気象条件を前提にして、中山、清水、加藤、角田とともにその余の条件について検討した。ここにおいて、下山、停滞のそれぞれの場合について問題点が指摘されたが、その主なものは次のとおりであつた。

(1) 停滞した場合の問題点

① 停滞が長引けば食糧、燃料が不足する。食糧は四月一日まで、燃料は四月二日までの分を有していたが、四月一日中に下山できない事態になれば各人が所持している非常食に手をつけることになり、パーティーの半数近くを占める一、二年生(四人)の初心者に心理的負担を与えることになる。

② 西駒山荘内には、破れた窓や板壁の隙間から雪が吹き込んでおり、外気との気温の差がほとんどないため、衣服、靴、その他の装備の乾燥保持、凍結防止のため多大の努力を強いられ、暖房に利用する燃料などもないため、凍傷防止のための努力もしなければならない。しかも、雪山の夜は長く、漆黒の闇になるのであり、かかる状況下において、具体的な目途もなく二日も三日も停滞を続けることは、特に初心者に心理的動揺を与え、初心者の精神的、肉体的疲労が限界に達し、天候が回復しても良好な体調で下山行動に移ることは困難であり、士気が著しく低下する。

③ 全員が停滞することになれば、家庭及び学校に連絡がとれないため心配をかけることになる。

(2) 即時下山した場合の問題点

① 稜線は、木曽側からの雪まじりの強風のため、特に初心者は身体のバランスを保つのが難しく、滑落、転倒、雪庇の踏み抜き等の危険がある。

② 他の下山ルートについては、ルートの有無、難易、雪崩・滑落の危険性の有無・程度、安全な場所までの所要時間等について具体的な資料がないので決定することができない。

(三) そして、最終決定を下すには、偵察によつて周囲の情報を得る必要があるため、雪中の行動経験が豊富な小泉と清水が午前一〇時ころから約一時間にわたつて偵察した。

その結果、次のことが判明した。

① 稜線を歩くルートは強風のため、パーティー全員が歩行することは危険であり、困難である。

② 伊那側斜面は、山荘直下に本沢が突上げているが、この斜面は急で、かつ、新雪は風に吹き飛ばされて雪面はクラストしている。そのため、雪崩の危険はないが、滑落の危険が大きい。

③ 偵察の際到達した最北地点(俗に三ツ岩と呼ばれる部分の上部付近)から、胸突尾根が見え、山荘からの直線距離は、約一キロメートルと推定された。

④ 稜線から一〇〇メートルほど下つたところに岳樺の樹林帯があり、それは稜線に沿うように胸突屋根の方に続いている(なお、雪上に出ている岳樺の樹木は、直径五から二〇センチメートル、高さ一、二メートルで、間隔は一、二メートルから数メートルであつた。)。

⑤ 稜線直下の風下側は、強風のため新雪の吹き溜りは全くなく、アイゼンの爪が入りにくいくらいに凍結して氷に近い状態になつており、滑落の危険が大きかつた。しかしながら、稜線から距離にして約一〇〇メートル下がると、アイゼンの爪が五ミリないし一センチメートル入るくらいとなり、雪の深さはくるぶし程度から段々深くなつて、さらに五メートルくらい下がると膝下一〇センチメートルくらいになつた。そのため、足が少し雪に沈むくらいのところを歩けば足許が安定し、滑落の危険はないと考えられた。しかも、膝下一〇センチメートルくらい沈むところでも、夜半からの降雪と風に飛ばされたやわらかい新雪は表面の数センチメートルくらいであつて、その下はクラストして固くなつていたから、このような雪質、積雪状態のところで新雪表層雪崩を誘発することはないと考えられた。

⑥ そして、本件パーティーが使用していた五万分の一の地形図では、本件ルートのうち、偵察した部分と三ツ岩付近から胸突尾根へ向けての未偵察部分は同じような地形に読み取ることができ、しかも、偵察で確認したルートからまつすぐ胸突尾根に進めば、将棊頭山頂からの稜線が胸突尾根に向かつてだらだら下がりとなつていて徐々に稜線に近づくから、この部分においても新雪表層雪崩の危険はなく、また、同地形図からは、偵察のときに確認できなかつた二本の沢は稜線より五〇〇から六〇〇メートル下がつたところから始まつていると認められ、したがつて、本件ルートを進行しても沢筋に遭遇することなくその沢の相当上部で稜線のすぐ近くをトラバースすることになると判断された。

⑦ したがつて、下山ルートとして考えられるのは、稜線を避けて山荘から岳樺の樹林帯まで約一〇〇メートル下り、そこから樹林帯に沿つて胸突屋根へ向けてまつすぐ進み、胸突屋根から大樽小屋へ出るというコースだけで、その他に本件パーティー全員が安全に下山できるルートは見当たらない。

(四) 小泉、中山、清水、加藤及び角田の五人は、気象状況、停滞と下山の各問題点、偵察の結果に基づく下山ルートの安全性を総合的に検討し、即日下山するのが本件パーティーにとつて最善の方策であると考えて下山を決定した。

(五) このように、小泉のなした下山の決定は、本件パーティーの引率者として十分首肯しうるものであり、また、結果的に本件事故が発生したが、当時の状況からすれば、小泉には雪崩の発生を予見することは不可能であつたというべきであつて、このことからすれば被告に安全配慮義務違反の存しないことは明らかである。

2  また、本件事故現場付近の雪質、積雪状態に照らすと、本件事故現場付近においては、膝下一〇センチメートルぐらい沈むところでも、夜半からの降雪と風に飛ばされたやわらかい新雪は表面の数センチメートルであつて、その下はクラストして固くなつていたから、表層雪崩が発生する危険が存しないことは前述したとおりであるところ、本件雪崩は、本件現場付近のクラストした雪の下の雪層にいわゆる滑りやすい弱層があつたため、本件パーティーのラッセルによる衝撃で弱層から上部の雪が板状に切れて流れだしたもの(表層雪崩の一種であるいわゆる板状雪崩)と推測するのが合理的である。

ところで、クラストしている雪の下の弱層の中に滑りやすい性質の雪層があるかどうかは、雪に関する深い知識と、雪を柱状に掘つて注意深く調査しなければわからないことであるが、本件事故当時は、クラストした雪面でも、その下の弱層が原因で表層雪崩が発生するということは一般の登山者には知られておらず、また、一般に市販されている山岳関係図書にもそれに関する記載はほとんど見られなかつた。

したがつて、小泉には、本件事故現場付近においていわゆる板状雪崩が発生することについての予見可能性はなかつたというべきであるから、このことからしても安全配慮義務違反は存しない。

4  請求原因3(二)の事実のうち、小泉が被告の公権力の行使にあたる公務員であるとの点、本件合宿が小泉の引率指導の下に学校行事の一環として行われたとの点は認め、その余の事実は否認し、本件事故が小泉の過失によつて生じたとの主張は争う。

(国家賠償法上の責任に関する被告の主張)

1 高専は、入学資格は高校と同じであるが、これと異なり、五年間を通じて一貫した教育活動により、一般教育、専門教育を行うものとして、大学と同じ高等教育機関とされ、クラブ活動は高専の特別教育活動の一環として、学友会の下に設けられている。そして、クラブ活動については、年間行事の企画、立案、実施に至るまで、すべて部長(学生リーダー)を中心にして、クラブ員により自主的に運営され、顧問は、個々の活動に遂一口を出すことはせず、必要に応じて助言と生活指導を行うのが原則である。

高専の教員が、本来の教科以外の教育活動であるクラブ活動についても、学生を監督すべき義務を負うとしても、クラブ活動が本来学生の自主性を尊重すべきものであることに鑑みれば、何らかの事故の発生する危険性を具体的に予見することが可能であるような特段の事情のある場合は格別、そうでない限り顧問としては、その具体的な行動について遂一指導監督すべき注意義務を負うべきものではない。

したがつて、顧問たる小泉は、その登山活動の過程で、クラブ員の経験、判断力、技術等に照らし、学生リーダーを中心とするクラブ員だけに任せていたのでは、何らかの事故の発生することが予想される特段の事情がある場合に初めて具体的状況に応じた助言、指導を与え、それによつて危険を回避すべきもので、かつ、それで足るというべきであるところ、前述したとおり、小泉は、偵察によつてルートの安全性を確認するなどし、さらに予測される事故について必要な助言、指導をなしているのであるから、小泉に本件事故についての過失はないというべきである。

2 仮に、小泉に原告らが主張するとおりの注意義務が存したとしても、安全配慮義務違反に対する被告の前記主張1、2のとおりの事実に鑑みれば、小泉には何ら過失は存しなかつたというべきである。

5  請求原因4の損害額は争う。

三  抗弁(時効の援用)

原告らは、小泉に過失があると主張して、被告に対し、国家賠償法一条による損害賠償を請求しているが、次に述べるとおり、右請求権は、すでに時効によつて消滅しているものである。

すなわち、原告らは、本件事故後の昭和五二年一〇月二五日付けで、東京都教育長に対し、他の遺族らとともに、二四〇〇万円の損害賠償を請求しているのであるから、原告らは、遅くともそのころまでには、本件事故の加害者及び損害を知つていたものと解される。

そうすると、原告らの国家賠償法一条に基づく損害賠償請求権は、遅くとも昭和五五年一〇月二五日の経過をもつて時効により消滅しているものである。

被告は、右時効を援用する。

四  抗弁に対する認否

抗弁事実は認める。

五  再抗弁(権利濫用)

被告の消滅時効の援用は、権利の濫用にあたり許されない。

本件事故は、七人もの若者の生命が失われた大規模なものであつたことから、昭和五二年五月二一日以来原告ら遺族と被告との間で原因の究明、被害補償の交渉がなされてきた。その交渉のなかで、東京都教育庁の学務課長、体育課長らは「誠意をもつて対応する。事故原因が究明されていないため具体的な対応はできないが、角舘氏(本件事故の被害者の一人である角舘の両親)と都の裁判で原因がはつきりすればそれにしたがうのでそれまで待つて欲しい。角舘氏との判決がでれば、その結果いかんにかかわらず金銭的に決着する。」等の言葉を繰返し、かつ、角舘氏と被告との訴訟の経過を遂一報告してきた。そのため、原告らは、相手が東京都ということもあり、前言を翻して事故原因とは無関係な消滅時効の援用をすることはないと信じて交渉してきた。ところが、右角舘氏との訴訟の一審判決で被告が勝訴するや、被告は突如態度を翻し、昭和五九年八月二一日の交渉の席で都に責任はなく、補償を行う意思のないことを告げたのである。

以上のとおり、本訴提起が事故発生以来八年も経過した理由は、原告らが権利の上に眠つていたからではなく、被告の事務職員らの前記説明を原告らが信じ、その希望を入れて訴訟の提起を控えてきたからである。にもかかわらず、訴訟が提起されるや消滅時効の援用をするのは権利の濫用にあたることは明白であり許されない。

六  再抗弁に対する認否

再抗弁事実は否認する。

教育庁の職員は、角舘氏との訴訟で東京都が敗訴に確定し、あるいは和解が成立した場合は、時効期間を経過している場合でも誠意をもつて対応し、角舘訴訟と同様金銭的に解決するというものであつて、角舘訴訟に勝訴した場合でも、原告らとの間で金銭的に解決する旨発言したことはない。なお、訴訟経過の報告は、原告らの希望によりなされたものである。

以上により、被告が本件訴訟において、防御方法の一つとして消滅時効を援用しても、決して権利の濫用になるものではない。

第三  証拠<省略>

理由

一当事者

請求原因1の事実は当事者間に争いがない。

二本件事故の発生とそれに至る経緯

1  請求原因2(一)の事実は当事者間に争いがない。

2  同2(二)の事実は、小泉がリーダーであるとの点を除き当事者間に争いがない。

なお、小泉が本件パーティーの引率者であり、実質的なリーダーとして最終的な責任を負うべきことは後述する。

3  同2(三)の事実(ただし、二八日、本件パーティーが道に迷つたため、午後一時ころ大樽小屋に着いたとの点及び大樽小屋が半壊状態であつたため、小屋付近に幕営したとの点は除く。)は、当事者間に争いがない。

4  同2(四)の事実(ただし、山荘外部の雪面がクラストして危険な状態にあつたとの点、小泉らは中国大陸の低気圧が東進していると考えたとの点及びクラストした雪面上に前夜来の新雪が膝下くらいまで積つていたとの点を除く。)は、いずれも当事者間に争いがない。

<証拠>によれば、次のとおりの事実を認めることができる。

(一)  三月三〇日の朝食後、西駒山荘外部の風雪の様子を見るため、ザイルの一端を固定し他端を身体につけた生徒が一名ずつ西駒山荘から外に出て外部の状況を体験したが、外部は、風雪が強く、風の強さは伊那側で直立して歩けるくらいであるのに対し、木曽側は直立していられないほどであり、風速は毎秒一五ないし二〇メートルであつた。

(二)  小泉、中山は、加藤が作成した天気図によつて、九州西方に前線を伴う低気圧があり、それが時速約三五キロメートルで東進してきており、同日以降天候が一段と悪化するものと考えた。

(三)  小泉は、午前一〇時五〇分ころ、本件パーティーの中で小泉に次ぐ登山経験を有する清水とともに、外部状況を把握するため、主として将棊頭山山腹を胸突尾根方向に偵察しようと出発した。両名は、西駒山荘から将棊頭山頂上に向かつて五〇ないし八〇メートル進んだが、強風で歩くことが困難であつたので方向を伊那側山腹に転じて稜線とほぼ平行に稜線下三〇ないし四〇メートルのところを胸突尾根方向に歩いて三ツ岩に達した。この稜線下の雪はクラストしていてアイゼンの爪が五ミリないし一センチ入るくらいのほとんど氷に近い状態であつた。両名は三ツ岩から方向を転じて下方に進み、森林限界の近くまで降りたが、段々足が雪の中にもぐるようになり、森林限界近くの雪の深さはくるぶしが隠れるか隠れないくらいであり、その雪の下はクラストしていた。

そして、両名は、偵察によつて将棊頭山の伊那側山腹に存在する三本の沢筋のうち西駒山荘直下に遡上する沢筋の存在を確認したが、その他の沢筋の存在を確認することができないまま、森林限界沿いに引き返し、午前一一時四〇分ないし五〇分ころ西駒山荘に帰着した。

(四)  小泉は、右偵察の結果として稜線ルートは風が強く、滑落の危険があるが、将棊頭山から一〇〇メートルくらい下方の伊那側山腹を森林限界に沿つて胸突尾根に向かつてトラバースするルートであれば滑落の危険は少なく、下山可能であると判断して、その旨報告し、清水、加藤、及び角田らとも相談した上、このルートによつて下山することを決定した。

5  同2(五)の事実(森林限界沿いは、風が強く、かなりの新雪があつたとの点、本件パーティーが雪崩に対し警戒することなく前進したとの点及び森林限界に至る少し手前で、清水、嶋ノ内らによつてクラックが目撃されたとの点は除く。)は、当事者間に争いがない。

<証拠>によれば、次のとおりの事実を認めることができる。

(一)  西駒山荘から下つて森林限界に至る少し手前で、清水、志村、嶋ノ内らが二回にわたつて足許近くにクラックを目撃したが、小泉、中山は、この事実を知らなかつた。

(二)  森林限界沿いは風が強く、また、ラッセルが必要なくらいの雪(夜半からの降雪と風に飛ばされ吹き溜つたもの)が積もつており、その深さは浅いところではくるぶしくらいであつたが、概ね膝下くらい、すなわち約五〇センチメートルであつた。そして、森林限界に生えていた岳樺の上部が一ないし三メートル雪上に突き出ており、その間隔は狭いところで約二メートル、広いところでは五ないし一〇メートルであつた。

なお、被告は、雪の深さが膝下一〇センチメートルくらいのところでも、雪の層はいわば二層に分かれ、夜半からの降雪と風に飛ばされたやわらかい雪は表面の数センチメートルくらいであつて、その下はクラストして固くなつていた旨主張(以下、これを「二層説」という。)し、前掲証人小泉の証言中にもこれに沿う部分が存する。

しかし、小泉が現場付近の雪の層について具体的に右の二層説を唱え出したのは、昭和六一年六月一二日の第九回口頭弁論期日での証言が初めてであり、それまでは、現場付近では、もぐると膝下くらいまでの雪は、吹き溜つたものであるから、ほとんどやわらかく、降つた直後の雪という感じであつたと証言しており、また、右二層説に沿う証言は、本件雪崩の原因となつた斜面の雪の層についての重要な指摘であるにもかかわらず、<証拠>によれば、小泉は右期日に至るまで、本件事故後の実況見分時、事故調査委員会(高専山岳部OB会)、さらに本件事故についての訴外角舘三郎ほか一名(以下「角舘氏」という。)と被告との間の訴訟(東京地方裁判所昭和五二年(ワ)第九三三六号)のいずれにおいても右の二層説に沿う供述を全くしていないことが認められる。

たしかに、<証拠>によれば、昭和五二年六月二日に行われた事故調査委員会における事情聴取の際、小泉は現場付近の雪の層や深さについては、「地吹雪で吹きだまりに雪ができた感じで、沢筋で降つていた雪の量は何一〇センチということじやなく、一〇センチかその位だと思う。」との趣旨を述べているが、これは前記二層説とは異なるものであり、かつ、二層説を更に具体的に説明した同人の次の趣旨の証言、すなわち、「場所によつて異なるが、新雪は大体三センチから五センチぐらい積つており、その下は古い雪が多少固くなつてクラストしており、それを踏み抜くと膝下一〇センチ位のところで止まり、踏み抜かない場合はくるぶし位で止まつた。」とは明らかに異なつている。もし、後者の証言が事実であつたとすれば、明らかに重要な指摘であるから、右事情聴取の際のみならず、右別件訴訟の証人尋問の際にも小泉はその旨の供述をしているはずであるが、右のとおり、同人は一切それを述べていない。

したがつて、二層説に沿う小泉の前記証言部分は、<証拠>に照らし、たやすく措信することができない。

なお、<証拠>によれば、本件事故現場から直線距離で約四キロメートル離れた千畳敷山荘における三月三〇日の降雪量は五センチメートルと記載されていることが認められるが、右は測候所の正式な観測によるものではないのみならず、前記争いのない事実及び<証拠>によれば、前日夜半から当日午後の事故発生時まで西駒山荘ないし本件事故現場付近は引き続き風雪が激しく、相当量の降雪があり、かつ、右現場付近は風下斜面にあたるため風上から運ばれた新雪も相当量同所付近に吹き溜つたことが認められるので、これらの点からみても右二層説は採用することができない。

(三)  本件パーティーは、午後二時ごろ、樹林の途切れた沢の上部である本件事故現場にさしかかつたが、同所は将棊頭山頂から北方約三〇〇メートルの稜線から東方に約一〇〇メートル下がつた傾斜約三〇度の山腹であり、かつ、小黒川を上りつめた沢の上縁部に広がつている森林のない大きな斜面に形成された雪の吹き溜まり区域であつて、いわゆるシロデと呼ばれる雪崩の危険地域であるが、当時、将棊頭山の山稜には西からの強い暴風(吹雪)が吹き付け、その山稜の東側は風下になるため右現場には大きな雪の吹き溜りが生じていた。それは、前日までの好天により日中溶けた雪面が夜間にクラストし、その上に吹き溜りの雪が積つて生じたものであるが、このような積雪は風成雪と呼ばれ、水気を含まない乾雪が積雪の内部からかなり広い面積にわたつていつせいに動き出す、いわゆる面発生乾雪表層雪崩の母体として最も危険の多い積雪状態であつた。

(四)  小泉は、このような危険な状態にある本件事故現場を単に樹林が途切れた区域であると考えて本件パーティーをそのまま進行させ、そのため右パーティーは雪崩に対する注意を全くしないまま一団となつて掛け声を掛け合いながらラッセルしつつ同所を横断したところ、これによつて表層雪崩が誘発され、小泉、中山、嶋ノ内を除く七名が右雪崩に巻き込まれて死亡するに至つた。

なお、被告は、右雪崩が板状雪崩であると主張するが、この点については後に述べる。

三学校行事としての登山引率者の注意義務

1  原告らは、被告に対し、国家賠償法第一条に基づいて損害賠償を請求しているが、この点を判断する前提として、まず、学校行事として登山が企画された場合に、その引率者が負うべき注意義務について検討する。

なお、<証拠>によれば、本件パーティーは、構成員のうち五名が一六歳から一九歳までの年齢であり、全体的に雪山経験が浅く、森田及び仲佐においては全く雪山の経験がなかつたこと、したがつて、山の高度、積雪の状態、合宿の時期等からみて山岳部員のみで合宿を行うことは無理であることが認められ、さらに、本件合宿が学校行事の一環として、高専山岳部の顧問である小泉、中山及び山岳部OBの清水が参加して行われた(この事実は当事者間に争いがない。)ものであり、小泉及び中山に対しては公務出張として旅費が支給されていたことなどに鑑みれば、小泉及び中山(以下これを「小泉ら」ということがある。)、特に登山経験の深い小泉が本件パーティーの実質上の引率者、実質的なリーダーとして、最終的な責任を負うべきものと解するのが相当である。

この点に関して、被告は、小泉は高専山岳部の顧問であり、本件パーティーのチーフリーダーは加藤で、サブリーダーは角田及び角舘であつたと主張するが、右に述べたように、本件合宿は、小泉らの引率、指導の下に実施されたものとみるのが相当であるから、本件合宿を引率、指導した小泉らこそが、本件パーティーの実質上の引率者、実質的なリーダーとしてその責任を負うべきであると解するのが相当であつて、本件パーティーの最終的な責任者が小泉であることは、小泉自身もその旨証言しており、また、<証拠>中にもこれに沿う部分が存する。したがつて、被告の主張は採用できない。

2  <証拠>によれば、高等専門学校の登山、特に冬山ないし春山登山における遭難事故の防止については、文部省体育局長の各都道府県教育委員会教育長及び各学校長宛の通知、通達が本件事故以前においてもしばしば出されており、そこにおいては、雪山での遭難事故が後を断たないことを憂えるとともに、その防止策として、山の状況をよく調べ、気象の変化に十分注意すること、雪崩、転落、滑落等に十分注意すること、登山計画の立案にあたつては、経験豊富な指導者のもとで計画を立て、技術、体力に応じた山を選び、パーティーの中の能力の低い者を基準として無理のない計画を立てることなどが繰り返し指摘されている。しかも、本件合宿は、三月下旬の雪山登山であるが、山の高度、積雪状態、本件事故当時の天候などに鑑みると、冬山登山に準ずるものであると認められる(前掲乙第五号証にはこれに沿う部分が存し、前掲証人小泉も同趣旨の証言をしている。)ところ、右各通知、通達においては、冬山では常に雪崩の起こる危険性があるので、目的地の雪崩に関する状況を詳細に調べ、その可能性のある場所へは絶対に近づかないこと、降雪中及びその直後には特に留意すること、雪山登山は体力、技術的にも困難な条件が多いので夏山で十分に訓練された者が適正な計画のもとで実施すべきことなどが繰り返し指摘されている。

3 ところで、一般に、登山活動にはさまざまな危険が存在することは公知の事実であり、したがつて、登山パーティーのリーダーは、常にかかる危険の存在に注意を払い、極力その危険を回避してパーティー構成員の安全を確保すべき注意義務があることはいうまでもないが、右に見たとおり、学校行事として行われる登山については、その教育活動の目的からみて、何にも増して安全を確保すべきことが各学校の関係者に繰り返し指摘されていることに鑑みると、学校行事としての登山の場合は、一般の場合以上に構成員たる生徒らの安全を確保すべきことが求められ、その危険の回避については、学校側に対し、より一層の慎重な配慮が要求されているというべきであつて、したがつて、特に、本件高専山岳部のように一六歳から一九歳の生徒を構成員とする学校行事としての登山を引率する者は、より一層右の構成員の生命、身体の安全を確保すべき注意義務が存するというべきである。

なお、被告は、小泉が負うべき注意義務について、何らかの事故の発生する危険性を具体的に予見することが可能であるような特段の事情のある場合は格別、そうでない限り、その具体的な行動について逐一指導監督すべき注意義務を負うべきものではないと主張するが、これは、小泉が本件パーティーのリーダーではないことを前提としているのであつて、小泉らが、本件パーティーの実質上の引率者、実質的なリーダーとしてその責任を負うべきであると解するのが相当であるのは先に見たとおりであるから、被告の右主張を採用することはできない。

また、仮に被告の主張が一部認められるとしても、西駒山荘に停滞すべきか、それとも悪天候の中を下山すべきかの意思決定や、下山開始後の引率行為は本件パーティーの命運を左右する重要な行為であつて、かかる場合にもなお、小泉らにリーダーとしての責任がないとは到底解されず、以上の点からみても、被告の右主張は理由がない。

四小泉らの過失

1 一般論として、停滞するか下山するかを決定するに際しては、安全の確保を第一とし、直ちに下山する場合と停滞した後に下山する場合とにおけるそれぞれの危険を十分比較衡量してより安全な処置をとるべきものであること、山の上で天候が崩れた場合には、動かず停滞して天候の回復を待つべきであるというのが鉄則であるとされていることは当事者間に争いがない。

山の上で天候が崩れた場合には、動かず停滞して天候の回復を待つべきであるとされているのは、悪天候下で行動する場合には視界等も十分ではなく、霧にまかれて道に迷つたりする危険があるのみならず、風雪に打たれた場合には体力の消耗も激しく、疲労によつて注意力が散漫となつて事故を起こしたり、また、凍死、雪崩、雪庇の踏み抜きによる転落、アイスバーンでの滑落などの危険に遭遇する可能性が非常に高いことによるものと解することができる。

そして、<証拠>によれば、本件事故後も北アルプスや中央アルプスの冬山で遭難したパーティーが無理に下山せず、食糧を食い延ばすなどしながら、本件の西駒山荘その他の安全な場所に停滞を続けて天候の回復を待ち、救出された例がかなりあること及び同様の事例は本件事故以前にも新聞等で報道されていたことが認められる。

2 前記認定事実及び<証拠>によれば、本件事故現場付近一帯は、三月二七日以降好天が続き、ほとんど降雪がなかつたが、本件事故当日は前日夜半から天候が悪化し、早朝から風速一五ないし二〇メートルの吹雪が続いていたことが認められる。

これに対して、<証拠>によれば、食糧及び燃料については、非常食までいれれば四月二日までの分が存在し、節約してさらに引き延ばすことも可能であつたこと、西駒山荘は停滞する場所として安全な場所(本件パーティーが小屋の中で冬用のテントを張つて内張りまでしていたことは当事者間に争いがない。)であり、パーティー構成員全員健康で、士気も旺盛であつたことが認められ、これによれば本件パーティーが西駒山荘に停滞することに安全の面で何らの問題はなかつたものと解することができる。

右に認定した事実によれば、本件事故当日は非常に悪天候であつたのであり、西駒山荘に停滞するのに何らの問題も存しなかつたのであるから、前記山の鉄則に鑑みれば一般の登山パーティーにおいても停滞して天候の回復を待つべきであつたものと解することができるところ、前述したとおり、学校行事としての登山においては通常の場合以上に安全を確保すべきことが要求されていることからすれば停滞後の下山を困難とする特段の事情があつて、悪天候下における種々の危険を冒しても下山を強行した方が安全であるとする特別の理由が存するとか、または、下山ルートがきわめて安全であつて、少なくとも停滞した後稜線ルートを下山する場合と同程度の安全性を有しているか、又は、当時の状況からみて雪崩の発生を予見することが不可能で、当該ルートがきわめて安全であると確信するのもやむを得ないと考えられるなどの特別な理由のない限り、西駒山荘に停滞すべきであつたと解するのが相当であり、このことは、<証拠>によれば、登山、雪崩、気象等の専門家である三井file_3.jpg大、高橋定昌、木下寿男、銀谷国衛、高橋喜平らがいずれも、本件のような状況に遭遇した場合には、本件ルートがきわめて安全であるとは確信できず、やはり、西駒山荘に停滞し、弱まつてから雪崩の危険のない稜線ルートを下山するのが順当な方法であり、同人らはいずれもその方法を選択したであろうと述べていることからも明らかである。

3  そこで、まず、停滞後の下山を困難とする特段の事情があつて、悪天候下における種々の危険を冒しても下山を強行した方が安全であるとする特別な理由があつたといえるか否かについて検討する。

被告は、西駒山荘内に停滞した場合の問題点として、①食糧は四月一日まで、燃料は四月二日までの分を有していたが、四月一日中に下山できない事態になればパーティーの半数近くを占める一、二年生(四人)の初心者に心理的負担を与え、②西駒山荘内には、破れた窓や板壁の隙間から雪が吹き込んでおり、居住環境は劣悪であつて、外部と余り変らず、雪山の夜は長く、漆黒の闇になり、そのような中で二日も三日も停滞を続けることは、特に初心者に心理的動揺を与え、その精神的、肉体的疲労が限界に達し、士気が著しく低下して、天候が回復しても良好な体調で下山行動に移ることは困難であり、③全員が停滞することになれば、家庭及び学校に連絡がとれないため心配をかけることになる旨主張し、<証拠>中には、右主張に沿う部分が存する。

しかしながら、食糧及び燃料は十分であつたこと、西駒山荘は停滞する場所として安全な場所であり、パーティー構成員全員健康で、士気も旺盛であつたことは先に見たとおりであり、<証拠>によれば、一般に春山の気象変化は冬山と異つて短期日(数日)の周期性があり、悪天候も短い間に去つてその後は山岳行動に支障のないような好天になるものであるとされていること(仮に四月一日まで悪天候が続いたとしても、小泉ないし清水が単独あるいは二人で下山し、救助を求めることも十分可能であつた。)、安全な場所である胸突尾根までは、天候が回復すれば稜線ルートをわずかな時間で行くことができることが認められ、先に認定したとおりの本件パーティーの人員、構成などに照らすと、西駒山荘に停滞することによつて、被告が主張するように、天候が回復した後に良好な体調で下山行動に移れないほどの精神的、肉体的疲労を初心者にもたらすものとは認められず、仮に、被告が主張するような不安のある者が居たとしても、その者を安全に保護しながら下山することは十分可能であるから、右のような理由によつて、あえて悪天候下に下山しなければならない理由とすることはできないものと解される。

また、全員が停滞することによつて家庭及び学校に連絡がとれず心配をかけることがあつたとしても、本件合宿のような場合には、当初からそのような事態の発生が予想され得るところであつて、そのために学校及び地元警察署にあらかじめ提出した登山計画書には、西駒山荘に三泊する旨記載されていることからみても、むしろ同所に停滞する方が家庭及び学校を安心させることになるであろうことは容易に考えられるところであるから、右のような理由をもつてしてもあえて悪天候下を下山しなければならない理由とすることはできない。

以下の事実からすれば、停滞後の下山を困難とする特段の事実があつて、悪天候下における種々の危険を冒しても下山を強行した方が安全であるとする特別の理由は存しなかつたものと解される。

4  次に、下山した本件ルートの安全性について判断する。

(一)  前記認定事実及び争いのない事実によれば、本件事故現場付近は、沢の上部のシロデと呼ばれる、稜線から一〇〇メートル下つた傾斜約三〇度の山腹斜面であつたこと、本件事故当日までは数日間好天に恵まれ降雪も余りなかつたが、当日は前日夜半から天候が悪化し、早朝から風速一五ないし二〇メートルの吹雪が続いていたため雪質が不安定である上に、前日の日中の好天により表面が溶けたあと夜間にクラストした雪面の上に新雪が積もつていたこと、本件事故現場は稜線の風下に当たつていたところから雪の吹き溜り(雪の深さは概ね膝下くらいであつた。)が生じていたこと、本件パーティーが下山を開始したのは午後零時二〇分で、降雪中であつたことが認められる。

(二)  ところで、<証拠>によれば、傾斜三〇度ないし五〇度の樹木のない場所、沢筋及び沢を登りつめた山腹部分、稜線下の風下の吹き溜り部分などは雪崩の危険区域であり、疎林やプッシュがあつても表層雪崩の危険はあり、特にクラストした雪の上に新雪が積もつている場合、降雪直後の新雪の不安定な時期、日中の気温上昇時などに雪崩が発生しやすく、また、強風による風圧、雪庇の落下、雪斜面の横断ラッセル(雪をかき分け、足元の雪を踏み固めながら進行すること。積雪斜面を横断することは雪の斜面を切ることになるので雪崩を誘発する。)などの外部的要因によつて雪崩が誘発される危険性が大きいことが認められ、<証拠>の右認定に反する部分は採用できず、また、<証拠>中には、雪崩が起きやすいのは右に認定した状況に限らないとの証言部分が存するが、同人も右の状況が雪崩が起きやすい状況であることは認めており、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

(三)  したがつて、右(一)、(二)の事実に鑑みれば、右(一)のとおりの状況は、一般的に見て雪崩の発生しやすい状況であると認められるところ、かかる状況下で西駒山荘を出発し、山腹をトラバースして下山の途についたことは、雪崩に遭遇する蓋然性の極めて高い危険なものであつたとすら認めることができるのであつて、本件ルートを下山することが西駒山荘に停滞した後稜線ルートを下山することと同程度以上安全であつたと認めることは到底できないものというべきである。

(四)  これに対し、被告は、①稜線から約一〇〇メートルの距離の斜面はアイゼンの爪が五ミリないし一センチメートル入るくらいであり、雪の深さはくるぶしが隠れる程度であつたこと、②さらに五メートルくらい下方の、雪の深さが膝下くらいのところでも、夜半からの降雪と風に飛ばされたやわらかい新雪は表面の数センチメートルくらいにすぎなかつたこと、③本件パーティが使用した五万分の一の地形図では、本件ルートのうち、偵察した部分と三ツ岩付近から胸突尾根へ向けての未偵察部分は同じような地形に読み取ることができること、④本件ルートを胸突尾根に向けて進めば、将棊頭山頂からの稜線が胸突尾根に向かつてだらだら下がりとなつているため徐々に稜線に近づくことになること、⑧同地形図からは偵察のときに確認できなかつた二本の沢は稜線より五〇〇から六〇〇メートル下がつたところから始まつていると認められ、したがつて、本件ルートを進行しても沢筋に遭遇することなくその沢の相当上部で稜線のすぐ近くをトラバースすることになると考えられたこと、を理由として、右のとおりの雪質、積雪の状態からすれば、本件ルートのうち偵察した部分において新雪表層雪崩が発生する可能性はほとんどなく、また、未偵察部分もこれと同じ雪質、積雪の状態と考えられたから、結局、本件ルートにおいて新雪表層雪崩が発生する可能性はほとんどなく、したがつて、小泉にはその予見可能性がなかつたと主張し、<証拠>中にはこれに沿う部分も存する。

しかしながら、雪の深さが膝下くらいのところでも、夜半からの降雪と風に飛ばされたやわらかい新雪は表面の数センチメートルくらいにすぎなかつたという点については、これを認めることができないことは先に見たとおりであつて、また、先に認定したとおり三ツ岩付近では、雪面がクラストし、偵察した小泉や清水のアイゼンの爪が五ミリないし一センチメートル入るくらいであつたが、同所から下方に進むにつれ段々足が雪に沈むようになつていて、森林限界付近ではくるぶしが隠れるほどであつたから、すでに小泉が偵察した最下限の辺から吹き溜まりが形成され始めていたと認められるのであり、したがつて、稜線から約一〇〇メートルの距離の斜面もクラストによつて五ミリないし一センチメートル入るくらいであつたとする点については、これを認めることはできない(<証拠>によれば、本件事故に関する前記別件の訴訟において、小泉は、三ツ岩の辺りから森林限界付近に下りた際、この辺りは雪の中に足がもぐる、すなわちくるぶしが隠れるか隠れないかくらいであつた旨証言している)。むしろ、右認定によれば本件ルートのうち小泉らが偵察した部分についても新雪表層雪崩が発生する危険性があつたというべきである。

さらに、確かに<証拠>に照らせば、本件パーティーが持参した五万分の一の地形図(甲第九号証の一と同一のもの)を見ても、偵察した部分と三ツ岩付近から胸突尾根へ向けての未偵察部分が同じような地形であるかどうか、また、前記認定の三本の沢筋が稜線近くまで上がつているかどうかについて正確に読み取ることができるか否かについて疑問はあるものの、前記認定のとおり、少くとも三本の沢のうち一本は西駒山荘のほとんど直下まで突き上がつていることは偵察の結果確認していたのであるから、未確認の二本の沢についても、稜線近くまで伸びている可能性もあることを警戒すべきであるにもかかわらず、小泉の証言によれば、同人はこの点を全く懸念せず、何ら根拠がないのに、未確認の沢は稜線下五〇〇ないし六〇〇メートル下方から始まるものと速断し、したがつて本件ルートを進行していけば未確認の沢のはるか上方を迂回することになるから雪崩発生の危険はないと判断したことが認められるが、右判断は確たる根拠を欠くだけでなく、前記認定事実及び<証拠>によれば沢のかなり上部の山腹部分も雪崩の危険地帯であることが認められるので、少なくとも右偵察の結果によつて本件ルートが、西駒山荘に停滞した後、天候の回復を待つて稜線ルートを下山するのと同程度以上に特に安全なルートであると判断することはできないものというべきである(仮に三ツ岩付近の雪崩、積雪の状態が被告主張のとおりであつたとしてもこの結論に変わりはない。)。

この点について、前掲証人新田は、本件事故現場付近において雪崩は起きにくいと判断しても仕方がなかつたと思う旨の証言をしているが、同人は、主として被告主張の前記①及び②の事実を前提として、このような雪質、積雪の状態のところでは雪崩が起きないと判断しても仕方がないと証言しているところ、その前提事実を認めることはできず、仮にこの事実が認められたとしても小泉らの前記過失の有無を左右するものでないことは右に見たとおりである。

また、前掲証人高橋は、本件事故現場付近は一見して雪崩の危険のあることが明かなところとは認められない旨証言しているが、これは本件事故からかなり後の昭和六〇年に現場を訪れた際の印象にすぎないのであつて、しかも、その判断は前記①及び②の事実を前提としており、また、同人が他方で、斜度が三〇度以上、雪の量が膝くらいまで、降雪中という状況では雪崩のおそれがあり、本件雪崩は本件現場で起りえないことが起つたというものではないと証言していることを考慮すると、右証言は何ら本件ルートの危険性を否定するものとは解されない。

5  また、被告は、本件雪崩は新雪表層雪崩ではなく、板状雪崩と推測するのが合理的であるところ、本件事故当時は、クラストした雪面でも表層雪崩が発生するということは一般の登山者には知られておらず、また、一般に市販されている山岳関係図書にもそれに関する記載はほとんどみられなかつたのであるから、小泉には、本件事故現場において板状雪崩が発生することについての予見可能性はなかつたと主張し、前掲証人新田は、板状雪崩とはいわゆる面発生雪崩のことを言い、その中には新雪表層雪崩も含まれるが本件雪崩は、板状雪崩のうちの新雪表層雪崩ではなく、クラストした雪の下のいくつかの雪層の一部にすべりやすい弱層があつたため、本件パーティーのトラバースによる振動が影響して、弱層が破断し、その上部にある、以前に降つた古い雪ごと雪崩が起こつたものと考えられる旨証言している。

しかしながら、証人新田は、これについても主として本件ルートから五メートルくらい稜線側アイゼンの爪が五ミリないし一センチメートル入るくらいであつたこと、雪の深さが膝下くらいのところでも、夜半からの降雪と風に飛ばされたやわらかい新雪は表面の数センチメートルくらいにすぎなかつたことを前提として証言しているところ、これらの前提事実を認めることができないのは先に見たとおりであり、<証拠>と対比してみてこれを採用することはできない。

他方、<証拠>によれば、講学上、雪崩はその発生原因、発生の形態、滑り面の位置、発生時の水分等によりさまざまに分類されさらにその複合形態を組み合わせると数え切れないほどの種類に分けられ、かつ、実際の雪崩もこれらの複合形態によるものが多く、単純には分けられないこと、証人新田が本件において発生したと証言する板状雪崩も面発生表層雪崩の一種で、形態的には、従来、雪板雪崩と呼ばれていたものと余り変わらず、本件事故現場における雪崩も、まず狭い範囲での新雪表層雪崩が発生し、これが刺激となつて雪面の深部の弱層が破断して大規模な表層雪崩に発展した可能性もあることが認められる。

してみれば、本件雪崩が同証人の主張する板状雪崩、すなわちクラストした雪の下の雪崩にすべりやすい弱層があつたために、トラバースの振動によつてその弱層が破断し、その上部にある、以前に降つた古い雪ごと雪崩が起こつたものと認められるとしても、先に見たとおり、本件事故現場付近の状況に照らせば、新雪表層雪崩であるか右にいう板状雪崩であるかを問わず、同所をトラバースすれば、およそ表層雪崩の発生する危険があつたと認められるのであつて、少なくとも本件ルートを下山することが西駒山荘に停滞した後稜線ルートを下山することと同程度以上に安全であつたとは到底認められないのであるから、本件の雪崩がいわゆる板状雪崩であるか否かは、かかる状況において下山を決意した小泉らの過失の有無についてその判断を左右するものとは解されない。

6  そこで、さらに小泉において本件事故現場における雪崩の発生を予見することが全く不可能であつて、本件ルートがきわめて安全であると確信するのもやむをえないと考えられる特別な理由が存したといえるか否かについて検討する。

<証拠>によれば、小泉は昭和三六年から高専に勤務して、同四一年ごろから同校山岳部の顧問となり、生徒とともに毎年合宿行事に参加して北アルプス、中央アルプス、八ケ岳等に登山しているほか、個人としても多くの登山歴があるものの、比較的冬山の経験が少なく、また、本件事故に至るまでは一度も雪崩に遭遇したことはなく、雪崩についての知識は平均的なアマチュアの登山者と同程度であつて、雪崩の発生原因やその形態等についても、特に専門的な知識経験を有していたわけではないが、前記4(二)の場合における一般的な雪崩発生の危険性についての知識は有していたことが認められる。

他方、<証拠>によれば、本件事故の前年及び前々年にも中央アルプスの木曽駒極楽沢や千畳敷駅下の沢で雪崩事故が発生し、いずれも死亡者が出てたこと、本件事故当時発売されていた一般的な登山雑誌である「山と渓谷」(昭和五二年三月号)にも、春の中央アルプスに関する特集記事が掲載され、本件事故現場付近を含む斜面が雪崩道として警戒を要する旨の指摘がなされていたことが認められる。

そして、先に認定した小泉らの偵察、下山決定及びトラバースから本件事故に至る経緯に照らすと、小泉は雪崩の危険性についての一般的知識は有していたたものの、雪崩の発生原因やその形態等についての専門的知識経験がないにもかかわらず、前記認定の偵察時の状況等からみて、本件ルートは一般的に見ても雪崩発生の危険が予見できるのに、確かな根拠もなしにその危険は全くないものと速断して本件ルートによる下山を決意し、したがつて、本件ルートにおけるトラバースを行うに際しては、雪崩が発生した場合の対策はほとんど考えず、もつぱら滑落の危険防止を最重点に考えて、そのため密着した隊形を組み、間隔を詰め、掛け声を掛け合いながら一団となつて本件パーティーを進行させ、その結果、本件パーティーは本件事故に遭遇するに至つたものであることが認められる。

しかしながら、先に見たとおり、本件においては、雪崩についての専門的知識を持たなくても、本件事故現場の地形、当日までの天候、小泉及び清水による偵察時の状況等によれば、雪崩の危険に対する登山パーティーのリーダーとしての通常の注意を怠らなければ、その危険を十分予見できたのであり、前記のとおり、小泉もこの程度の能力は十分有していたと認められるから、小泉において、本件ルートがおよそ雪崩の発生があり得ない安全ルートであると判断するにつきやむをえない特別な理由はなかつたものと解するのが相当である。

7  以上によれば、小泉らが西駒山荘に停滞せず、下山を強行したことは、本件パーティーの実質的な引率者として負つていた前記注意義務に違反した過失があるというべきである。

なお、前掲乙第四号証中には、本件ルートを下山したことを非難することはできないとする部分があり、前掲証人高橋も同趣旨の証言をしているが、これらは、本件ルートの是非については、現場にいた者の判断を尊重すべきであつて、局外者が軽々に判断すべきではないとの立場に立つて述べられているものであり、本件ルートにおける危険性を否定しているものではなく、また、前掲乙第五号証中には、本件ルートを選択した判断には間違いがないとする部分が存するが、その理由は、小泉らには本件ルートについて危険の認識がなかつたのでやむを得ないというのであり、食料、燃料ともに心配がなかつた本件の場合は、西駒山荘に停滞し、風が弱まるのを待つて稜線コースを下山するのが本来のやり方であるとしているのであるから、右各証拠によつて小泉らの前記過失を否定することはできず、さらに、前掲乙第七号証中には、下山決定はやむを得なかつたとする部分が存するが、小泉の雪崩に対する判断力が不足していたとか、本件の場合は、基本的には停滞するのが正解であつたとしているのであるから、これによつても小泉らの前記過失を否定することはできない。

五被告の責任

国家賠償法一条一項にいう「公権力の行使」には、行政主体による権力的作用のみならず、公の目的をもつてなされる非権力的作用も含まれると解すべきところ、本件合宿が高専の教職員である小泉らの引率、指導の下に学校行事の一環としてなされたものであり、加藤ら五名が山岳部員としてこれに参加したことは先に見たとおりであるから、被告主張の抗弁が認められない限り、原告ら主張の債務不履行(安全配慮義務違反)について判断するまでもなく、被告は加藤ら五名に対し、小泉らの前記過失により生じた損害を賠償すべきであることはいうまでもない。

また、<証拠>によれば、清水は、母校である高専山岳部が本件合宿を企画していることを知り、同部OBとして本件合宿への参加を申し出たこと、同部において合宿にOBが参加する場合には、OBが技術コーチとなる慣例が存すること、同部においては、合宿は学生の自主性を尊重した訓練を行うことが主眼であるが、在学生の信頼するOBが参加することは技術の向上、連帯意識の向上等に効果的であり、また引率教員の補佐役という意味でもOBの参加が必要なものであると考えられていることをそれぞれ認めることができ、これらの事実によれば、清水は、同好の士がお互いにパーティーを組むような場合と異なり、引率教員である小泉らの補佐役として本件合宿に参加したのであるから、最終的には清水もまた本件パーティーの実質的なリーダーである小泉らの指揮の下にあつたものと解するのが相当である。したがつて、清水もまた小泉らによる公権力の行使に服すべき地位にあつたものと解されるから、被告は、その主張する抗弁事実が認められない限り、清水に対しても国家賠償法一条一項の責任を負うと解するのが相当である。

六時効の主張について

1  抗弁事実については当事者間に争いがない。

2  そして、原告らは、再抗弁として、被告の消滅時効の援用は権利の濫用にあたり許されないと主張するので、この点について判断する。

<証拠>によれば、昭和五二年五月二一日以来原告らと被告との間で原因の究明、被害補償の交渉がなされたこと、その交渉のなかで、被告の事務職員である東京都教育庁の学務課長及び体育課長らは、誠意をもつて対応する旨言明していたこと、被告は、角舘氏と被告間の前記訴訟の経過を原告らに逐一報告しながら問題の解決にあたる旨言明していたこと、以上の事実を認めることができ、また、教育庁の職員が、角舘氏と被告間の訴訟で被告の敗訴が確定し、あるいは和解が成立した場合は時効期間を経過している場合でも誠意をもつて対応し、角舘訴訟と同様金銭的に解決する旨発言していたことは被告も自認するところである。

右に認定した事実によれば、被告は、本件事故の原因が明らかになれば時効に関係なくこれに応じた補償をなすと言明していたものと解されるところ、原告らは、被告が本件事故の原因とは無関係な消滅時効の援用をすることはないものと信じて被告との交渉を継続してきたのであつて、原告らによる本訴提起が事故発生以来八年も経過した後のことになつたのは、原告らが権利の上に眠つていたからではなく、教育庁の職員らの前記言葉に原告らが従い、訴訟の提起を控えてきたことによるものと認めることができるのであるから、被告が本件訴訟において消滅時効の援用をするのは権利の濫用にあたり許されないと解するのが相当である。

被告は、教育庁の職員が、角舘氏と被告間の前記訴訟で被告が勝訴した場合においても原告らとの間で金銭的に解決する旨発言したことはないのであるから、被告が本件訴訟において、防御方法の一つとして消滅時効を援用しても決して権利の濫用になるものではないと主張するが、原告らの本訴提起が遅れたのは、右のとおり、原告らが教育庁の職員の言葉に従つて訴訟の提起を控えていたことによるものである以上、仮に被告主張の事実が認められたとしても、被告が本件訴訟において消滅時効の援用をするのは権利の濫用にあたり許されないとする判断を左右するものではないと解される。

七損害

1  逸失利益

(一) 前記一、二の事実及び弁論の全趣旨によれば、死亡当時、加藤及び角田は一九歳で高専四年に在学中、志村は一七歳で高専二年に在学中、森田及び仲佐は一六歳で高専一年に在学中であつたこと、高専は、航空工業を専門とする学校であること、したがつて、加藤らは各自が高専を卒業する年の四月から各六七歳まで少なくとも四七年間、運輸、通信業関係の職務に従事して収入を得たはずであることが認められ、右認定を左右するに足る証拠はない。

そして、高等専門学校卒男子労働者(運輸、通信業)の全年齢平均の月収は、昭和五三年の賃金センサスによれば二三万一二〇〇円、昭和五五年の賃金センサスによれば二四万五六〇〇円、昭和五六年の賃金センサスによれば二六万四一〇〇円であり、年間賞与その他特別給与額は、昭和五三年の賃金センサスによれば九二万二〇〇円、昭和五五年の賃金センサスによれば九三万六七〇〇円、昭和五六年の賃金センサスによれば九五万一六〇〇円であることは当裁判所に顕著である。

そこで、右給与額に基づき、生活費(給与額の五〇パーセント)を控除した上、新ホフマン式計算法により年五分の割合による中間利息を控除し、各自の右逸失利益の本件事故当時における現価を計算すると、別紙計算表一ないし三のとおり、加藤及び角田は各四二八〇万九三三〇円、志村は四二六六万六三八九円、森田及び仲佐は各四四一三万二三二五円となる。

そして、各自が二〇歳に達するまでに要する養育費を、月額二万円として、新ホフマン式計算法により年五分の割合による中間利息を控除して計算し、これを前記各逸失利益額から控除すると、各自の逸失利益は、加藤及び角田が各四二五八万七九七八円、志村が四二〇一万九四九円、森田及び仲佐が各四三二七万六八九三円となる。

(二) 前記一、二の事実によれば、清水は高専を昭和四八年に卒業し、死亡当時二四歳であつたことが認められる。そして、清水が本件事故当時すでに就職していたことは認められるが、その給与額等についての主張、立証は何ら存しないから、少なくとも六七歳までの四三年間は同校で習得した知識、技能を生かした職務に従事し、少なくとも高等専門学校卒の男子の全年齢平均賃金を得たはずであることが認められ、右認定を左右するに足る証拠はない。

そして、昭和五二年度の賃金センサスによれば、高等専門学校卒男子労働者の全年齢平均月収は二〇万七一〇〇円、年間賞与その他特別給与額は八一万七六〇〇円であることは当裁判所に顕著である。

そこで、右給与額に基づき、生活費(給与額の五〇パーセント)を控除した上、新ホフマン式計算法により年五分の割合による中間利息を控除し、右逸失利益の本件事故当時における現価を計算すると、別紙計算表四のとおり、三七三三万八九七九円となる。

2  慰謝料

加藤ら五名及び清水の学業、年齢、本件事故の態様など諸般の事情を総合して判断すると、同人らの精神的苦痛に対する慰謝料としては一〇〇〇万円が相当である。

3  弁護士費用

原告らが本件訴訟遂行のため本件訴訟事務を弁護士に委任したことは本件記録上明らかであり、このことからすれば、加藤ら五名及び清水が自らの損害賠償権を実現するためには各人が弁護士に委任せざるを得なかつたものと考えられるところ、本件訴訟の内容、認容額等諸般の事情に鑑みると、弁護士費用としては各一六〇万円が相当と認める。

4  過失相殺(清水について)

先に認定した事実及び各証拠によれば、確かに清水は本件パーティーにおいて小泉の指揮の下にあつたと認められるが、他方で、清水は、登山経験をほとんど有しない他の生徒とは異なつて小泉に次ぐ登山経験を有しており、しかも、小泉とともに下山ルートについての偵察にも出るなどして、いわば小泉の片腕として同人による引率、指導を補佐していたのであつて、本件パーティーが下山すべきか停滞すべきかについての重要な意思決定に際し、小泉に対して雪崩の危険等について適切な意見を具申すべき地位にあつたと認めることができるにもかかわらず、偵察後の協議において下山について特に異論を述べることなく、小泉の判断に安易に従つたものであること、及び下山行動開始後、小泉の指示により、パーティーの先頭に立つて歩行している最中に雪面にクラックが生じたのを目撃したにもかかわらず、これを雪崩の前兆の一つとみて直ちに歩行を停止し、小泉らと対策を協議するなどの措置をとらなかつたことがそれぞれ認められる。

被告は、清水の損害額を判定するにあたつて過失相殺の主張をしてはいないが、右の事情を考慮するとき、清水は本件遭難事故の被害者であると同時に、小泉の補佐として、右事故の発生につき主体的にいくばくかの原因を与えたことも否定できないので、少なくとも信義則ないし公平の観点から損害額の調整をする必要があると認められるから、当裁判所は、清水につき過失相殺による減額を考慮せざるを得ず、右認定の事情に鑑みれば、これによる過失相殺の程度は二割をもつて相当と考える。

5  相続

(一)  原告加藤録郎及び同トシ子が加藤の両親であることは当事者間に争いがなく、したがつて、弁論の全趣旨により同人の死亡により、被告に対する前記1、2及び3の合計金五四一八万七九七八万円の損害賠償請求権を各自二分の一すなわち金二七〇九万三九八九円宛相続したことは明らかである。

(二)  原告角田源一が角田の親であることは当事者間に争いがなく、したがつて、弁論の全趣旨により同人の死亡により、被告に対する前記1、2及び3の合計金五四一八万七九七八万円の損害賠償請求権を相続したことは明らかである。

(三)  原告志村榮太郎及び同樹子が志村の両親であることは当事者間に争いがなく、したがつて、弁論の全趣旨により同人の死亡により、被告に対する前記1、2及び3の合計金五三六一万九四九円の損害賠償請求権を各自二分の一すなわち金二六八〇万五四七四円宛相続したことは明らかである。

(四)  原告森田親之、同すみが森田の、原告仲佐博義及び同樹子が仲佐のそれぞれ両親であることは当事者間に争いがなく、したがつて、弁論の全趣旨により同人らの死亡により、被告に対する前記1、2及び3の合計金五四八七万六八九三円の損害賠償請求権をそれぞれ各自二分の一すなわち金二七四三万八四四六円宛相続したことは明らかである。

(五)  原告清水敏雄および同トキコが清水の両親であることは当事者間に争いがなく、したがつて、弁論の全趣旨により同人の死亡により、被告に対する前記1、2及び3の合計金四八九三万八九七九円から二割の過失部分を控除した金三九一五万一一八四円の損害賠償請求権を各自二分の一すなわち金一九五七万五五九二円宛相続したことは明らかである。

6  原告ら(原告清水敏雄及び同清水トキコを除く)の慰謝料

原告らが加藤ら五名の親であることは当事者間に争いがなく、加藤らの年齢、学業の状態、本件事故の態様その他諸般の事情を総合して判断すると、加藤らが本件事故により死亡したことによつて被つた原告らの精神的苦痛に対する慰謝料としては各五〇〇万円が相当である。

八結論

以上の事実によれば、被告は、原告加藤録郎及び同トシ子に対し各金三二〇九万三九八五円、原告角田源一に対し金五九一八万七九七八円、原告志村榮次郎及び同隆子に対し各金三一八〇万五四七四円、原告森田親之、同すみ、同仲佐博義及び同樹子に対し各金三二四三万八四四六円、原告清水敏雄及び同トキコに対し各金一九五七万五五九二円並びにそれぞれ右各金員に対する加藤ら死亡の日の翌日である昭和五二年三月三一日から支払済みに至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金を支払うべき義務がある。

したがつて、原告らの被告に対する本訴請求は、右限度で理由があるから認容し、その余は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九二条但書を、仮執行の宣言について同法一九六条一項を、仮執行免脱の宣言について同法一九六条三項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官奥山興悦 裁判官福田剛久 裁判官土田昭彦)

別紙計算表<省略>

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